「あっつー……俺たちもうすぐ死ぬんじゃないですか……?」
「いつも整備や点検はしっかり行なわれていたはずなんだが……今年はあまりの暑さにやられてしまったのだろうか……」
「これじゃあ満足に読書もできないねぇ……」
高嶺沢学園生徒会室は只今、地獄だった。
夏でも冷房が程よく効いていたつい先週までは、快適な天国そのものだったのに。
鳴田八幸が生徒会室の扉を開けたその時には、既に死体が二体転がっていた。
椅子にだらりと凭れるようにしてぼーっとナンプレ雑誌を眺めている東瀬棗。向かいの席には机に顔を突っ伏して頭に読みかけの文庫本を載せている輿水椿。
どうしたのかと理由を聞くまでもなく、扉を開いた時点で八幸はひとつ、決定的におかしな点に気付いていた。
この部屋、暑すぎる。
いつも蒸し暑い廊下から戻ってくれば天国かのように出迎えてくれる、あのひんやりした空気がない。
八幸の存在を辛うじて確認して、死体の一人——椿が口を開いた。
『お亡くなりに、なったそうだよ』
今にも自らもお亡くなりになりそうな声で言うそれは、人間のことではない。もちろん、この部屋を冷やしてくれるエアコンのことだった。どうやら今朝来た時には既に壊れていたらしく、何度スイッチを押しても反応しないのだそうだ。週末を挟んだ為、その間の猛暑にやられてしまったのだろうか。
棗の話によれば、この場にいない会長は代わりになるものを探しに行ってくれているらしかった。夏の暑さにも弱く体力のない二人はこうして、会長に任せバテていることしかできない。正直、他の教室にでも退避していればいいのではと八幸は思ったが、一向に動く気配のない二人を置いていくわけにもいかず、こうして三人仲良く死体をやっているわけだ。
「あのぉ……提案なんですが。空き教室探して避難しませんか?」
「駄目だ。会長が戻ってきた時誰もいなかったら悲しむだろう。せっかく俺たちのために何か探しに行ってくれているというのに」
「メモでも残しておけばいいですって……」
「ここで待っててって言われちゃったんだよねぇ」
「そんな律儀に守らなくてもいいじゃないですか……」
いくら言っても動こうとしない二人。日中の暑さは勢いを増し、容赦なく日差しが照りつけて部屋を熱する。
さながらサウナのような蒸し暑さを感じさせるここは、机や椅子の鉄部分も、らくがきばかりのホワイトボードの端っこも、あっちもこっちも燃えるほどに熱を持っていた。
それこそ本当に火事でも起きてしまいそうなくらいだ。
氷が入っていたであろう麦茶のグラスは大量に汗をかき、机に大きな水溜りを作っている。ふと八幸は思い立ち、このまま本当に死体になる未来が頭を過ったのを振り払うかのように立ち上がった。
「このままじゃ本当に死んじゃいますよ。俺アイスとか買ってきましょうか」
「八幸くん、君死ぬ気かい……?」
「頼めるのはありがたいのだが……いいのか?」
「正直、ここよりか風の通る外の方がまだマシだと思いますよ? お二人もどうですか」
ダメ元で聞いてみたが、やはり二人は動く気がないようだった。
棗は首を横に、椿は顔を上げず手を横に振りつつ、ちゃっかりアイスを注文してきた。
学校の外へ出て少し歩くと、大きめのコンビニがある。駐車場も設置された横長のコンビニだ。八幸は直射日光を浴びつつもここまで歩いてきたことを心底よかったと思った。
こここそが、楽園なのだ。
「す、すずしぃ〜」
自動ドアが開けば体中で感じる冷たさ。夏場、街中を歩いていてコンビニの前を通った時に感じるあの幸福を、今全力で味わっている。
いつまでも突っ立っているわけにもいかず中に入れば、そこはもう本当に楽園という他なかった。あの二人だってついて来ていれば今頃天国だったというのに。もったいない。
熱を持った体がみるみる冷えていくのを感じながら奥へ歩いていく。
頼まれたアイスは二つ。
棗のぎっしり満足チョコミントと椿のハーゲンダッツ抹茶チョコレートクッキー。
暑さにやられ意識も朦朧としていそうに見えたが、こういうところは具体的にオーダーしてくるのがなんだかなと思いつつ、八幸は自分の分の爽バニラ味を手にとり、オーダーされた二つも無事確保してからレジへ向かおうとした。
そこで、随分聞き慣れた声がするのに気付く。
「うげ……」
飲み物売り場で大量のペットボトルをかごに入れ会話をするのは、大罪一年、御影茜と樫間皐月だった。楽しそうに、何やらどれを買うか話しているようだ。
八幸としてはできれば会わずに帰りたいところだったが、既の所で皐月と目があってしまった。
「あれれ? 鳴田くんじゃん! 奇遇だね!」
こいつはまだ良いのだ。問題は隣で早速睨みを利かせているほう。
「よぉ雑用係。また雑用かな?」
「そっちこそ大量にペットボトル買い込んでパシリですか?」
ムカついたので言い返してやれば、また噛み付いてくる。間接的に先輩のことを弄れば、茜は簡単に噛み付いてくる。まるで番犬のように。
「こっちは自分から買いに来てるんだよ! 翔舞先輩はお前の雑用みたいなこと僕たちに頼むような人じゃないんだからな!」
「あっついからねー、みんなの分買いに来たんだよぉ〜。鳴田くんもみんなの分買いにきたの? それとも一人で三つ?」
わんわん吠える横の茜をまるで気にしない風に皐月は訊ねる。
「俺だって今日は頼まれたわけじゃない。これは生徒会室で伸びてる東瀬副会長と輿水先輩の分だ」
すると皐月はくいっと首を傾げ。
「伸びてる? 熱中症にでもなっちゃったの? それから、会長さんのは買わなくて良いの?」
「あ」
樫間は時々いいところ突くよな、と少し感心してしまった。
「熱中症ではないけど……まあ色々あって。アイス、溶けるからもう行く」
「うん、水分補給もしっかりね?」
「おう」
相変わらずぐぬぬと睨み続ける茜は放っておいて、適当に会長のアイスを選び、2リットルの麦茶を追加してから会計を済ませた。
「あぢぃ……」
外からコンビニへ来た時とは打って変わって、一歩踏み出せばまさに地獄だった。天国から地獄へ行くのは、普通の場所から地獄へ行く時の倍の絶望感がある。
元気よく輝く太陽に照らされつつ、もう溶け出しているであろうアイスを庇うように早足で生徒会室へと戻った。
生徒会室には相変わらず死体が二体。出掛けた時と微塵も変わらない状態で二人はそこにいた。
「ただいま戻りました。二人ともお茶くらい飲んだらどうですか。本当に死にますよ?」
「おかえり八幸くん……ハーゲンダッツあった……?」
「お前の勇気ある行動こそが命を救う……さあ、チョコミントを寄越してくれ」
手だけをこちらに伸ばす二人にお望みどおりのものを差し出せば、二人とも生き返ったかのように起き上がり黙々と食べ始める。
先輩のはずなのに、小さな子供の世話をしているような気分になった。
自分の分と会長の分を一度冷蔵庫にしまってから、新しいグラスを一つ取り出してアイスペールから氷を入れる。買ってきたばかりの多少冷えた麦茶を注げば、カランコロンと涼しげな音を立てて浮いてゆく氷。それを一気に飲み干して、自分もまた生き返ったような気分になった。同じ量だけまた注いでから振り返れば、机には二つの空グラスが。一応ある分は飲んだのかと思いながら、勝手に氷を放り込んで麦茶を注ぎ足した。
「アイスもいいですが、水分補給もしてくださいね」
「ありがとう八幸くん! さすが気が効くね! ダッツはこれくらい溶けてたほうが美味しいんだ」
「麦茶もちょうど切らしていたところだ。このままでは脱水症状で死に至っていたかもしれない。助かる」
アイスと冷たい麦茶ですっかり元気を取り戻した二人がニコニコと、随分素直に礼を言うものだから、悪い気はしなかった。
本当はカッチカチに冷えたくらいが好みなのだがと、少しでも冷やすため一度入れた爽バニラ味を取り出し、八幸もまたアイスを口に入れる。
「……んまっ」
ひんやりと舌で溶ける温度が気持ちいい。
暑い場所で食べる冷たいものは何者にも変えがたい幸福感が得られ、これはこれで堪らなかった。
と、その時。ガチャリと音を立てて扉が開く。
「おまたせーっ!! 扇風機借りてきた!!」
登場したのは自分の背丈くらいある扇風機を抱えた光橋榎希だった。
「おお……これは……」
「あ! 八幸も来てたのか! ってか、みんなで何食ってるの? ……俺の分は?」
がたんと多少乱暴に置かれた扇風機の音がして、見れば榎希は残念そうな、少しいじけたような顔をしていた。
「安心してください。買ってあります」
「ウソ!? ほんと!? 八幸が買ってきてくれたの!? わーん神様仏様八幸様〜!」
「離れてください暑苦しいです」
この暑いのに抱きついてきた榎希を引き剥がしながら、樫間に言われるまで気づきませんでした、とはとても言えないと思った。
「何? 俺のは何アイス!?」
「あずきバーです」
「チョイスが若干渋いね!」
「文句がおありなら食べなくていいです」
「文句じゃないよ!? いただくよ!?」
冷蔵庫から取り出したあずきバーをパン食い競争みたいにぶらんとぶら下げて持てば、榎希は勢いよく引ったくってびりびりと袋を破き始めた。全く、ここにいる人間はみんな自分よりいくつも年下みたいなところがある。
そんなことより扇風機、と早速コンセントプラグを刺せば、榎希がスイッチを押し羽がぐるぐると回りだす。
「なまぬる〜……」
むわっとした空気がかき混ぜられ、生温い風が四人にかかる。
「でもさ、ないよりはマシじゃない!? しばらく貸してもらえるっていうから、エアコン直るまでの辛抱だよ!」
八幸は風量を最大にし、首振り機能もオンにして窓は全開にした。
「まあ、空気の入れ替えもできますし、しばらくはこれで」
「でもやっぱあついよ榎希〜」
「修理は明後日くらいには来てくれるそうだ、会長」
「じゃあそれまではなんとかこれと……アイスで!」
あずきバーを咥えながら榎希はにっこりと八幸に笑いかけた。
「それってもしかして、毎日買ってこいってことですか」
「毎日買ってこなくてもいいよ? 一度で買い溜めしておくんでも」
「頼んでること一緒なんですよ……本当に、人使いが荒いんだから……」
「ごめんごめん、でも頼むよ〜! これは八幸にしかできないことなんだ!」
「さすがに違うと思います」
ぶぅんと音を立ててぐるぐる回る扇風機の風が、髪を靡かせる。
先ほどより随分とマシになったこの部屋を見回しつつ、まあしょうがないかと承諾した。
なんだかんだでやはり雑用になってしまった。それでもやっぱり、アイスひとつでこの世で一番幸せみたいな顔をする三人を眺めていると、悪くないかもと思うのだった。