高嶺沢学園はいつに無く賑わっていた。あちこちで段ボールのタワーができ、制服を着崩して、あるいは衣装やTシャツを身に纏って、大掛かりな装飾を準備したり、出し物のためのリハーサルを行っていたりとそれぞれが忙しなく動き回っている。
待ちに待った文化祭。今年はあと一週間後にまで迫っていた。
「やっぱこの時代ってかっけーよなあ」
「おや、絢芽くんの最近のブームは80年代ですか?」
「ここのコードがさ……」
ギターを抱えていつに無く浮かれている石蕗絢芽は、この時期が何よりも好きだった。文化祭といえばバンドで思う存分活躍できる唯一の機会といってもいい。いつもの地下の部室代わりの教室は小さなライブハウスへと変貌し、演奏をすればたちまちその日の主役になれる。去年の賑わいはなかなかのものだった。元々大きな学校というのもあり、例年多くの人たちが高嶺沢のお祭り行事を楽しみにやってくる。地下ライブハウスはその中でも特に人気があり、多い時は床が見えなくなるほどに人で埋まることもあった。
さて、例に漏れず文化祭の浮かれた雰囲気に乗っかる三バカこと絢芽、愛村、憐の三人であったが、今年はそう好き勝手ばかりしてもいられない理由があった。
「あなたたち、練習はいいの?」
「げ、委員長」
文化祭は例年、実行委員会が組まれ、委員の中でそれぞれ分担範囲が振り分けられる。
学級委員長であり実行委員会でもある椎名津久美が振り分けられたのは地下ライブハウスを含めた数箇所。担当箇所での問題は委員会役員の問題にもなる。津久美の性格からして下手なことをすれば出禁にだってされかねない。申し訳ないが委員ガチャは失敗だと絢芽は密かに思うのだった。
文化祭実行委員会は、成績上位者のみ役員になる資格がある。
今年は生徒会の四人と上位者七名の計十一名。文化祭の出来ももちろん成績に関わる。担当範囲を他のどこよりも盛り上げるべく、他生徒とは違い役員たちの雰囲気は随分と張り詰めていた。
「三バカ担当なんてお気の毒さま! 一生一位になれませんねー?」
「文化祭だけでこれからが決まるわけじゃないわ」
「うわ、遠回しに諦められてない? それ」
通常通りに煽ってくる結莉の言葉を躱しつつ、津久美は割と真剣に悩んでいた。認めたくないが今回は結莉の言う通りなのだ。あの問題児の三バカが出演するステージを担当するなど、ほぼ間違いなくハズレと言っていい。悔しいが委員ガチャは失敗だと津久美は頭を抱えたい気持ちでいっぱいだった。
***
準備期間中、津久美はそれとなく三バカを監視していた。自分の管理下にあって問題を起こされたらたまったものではないからである。見られているのをあちらも気付いているのか、特に目立った奇行はみられないまま当日を迎えた。今年もなかなかの賑わいを見せている。
「このあと十六時から、地下教室にてライブを開催します。よろしければぜひ」
「委員長自らビラ配りかよ、相変わらず真面目だな」
「あなたたちのためじゃないわ」
「へいへい」
絢芽は津久美が抱えているビラをチラリと見遣る。まるで契約書かのようにびっしりと文字で埋められた黒いだけのそれを受け取っている者はなかなかいない。
「お前、ビラの作り方勉強した方がいいぞ……」
「?」
まだまだ後ろには大量の紙束が積まれている。一向に減る様子がない紙束を見ないふりして、絢芽は準備していたものを見るべく外へ出た。愛村は今頃屋上だろうか。
地下ライブハウス前には人通りがそこまで多くない。屋台で賑わう方へ足を運んだ津久美は、突然頭上で響いた大きな音に顔を上げた。
「…………っな、」
ドーン、と大空に打ち上がるのは、ハートの形をした花火。そして、地下でライブやります、とか十六時にライブハウスへ、とか一体どうやって作ったのかわからない文字の花火なんかまで連続で打ち上がってまだ昼間の空を彩っていた。津久美の目はまあるく見開かれ、手に持っていたビラは全て地に落ちる。無惨にも踏みつけられた紙切れと化したそれを気にするものはもはやここにはいない。皆、空に釘付けだった。
「やっぱ宣伝はこうじゃなくっちゃなー」
「……やっぱり犯人はあなたたちね」
「うわ、委員長いたのかよ! ……あのな、宣伝ってのは派手であればあるほどいいんだよ、お前のじゃ誰もこねーって!」
「校内は火気厳禁よ! 宣伝以前の問題だわ!!」
絢芽と津久美が言い合っている間にも花火は次々と打ち上がる。宣伝効果は絶大だったのか、地下ライブハウスは去年に引けを取らないくらいに賑わった。
「ほらな」
「花火なんか打ち上げた時点でもう終わりだわ……」
今度こそ本当に頭を抱えながらも本番を迎えたライブ。校内で結成されたバンドはいくつかあり、ひとつ、またひとつと曲が終わっていくたびに不思議なことに人はどんどん増えていった。ひとまず花火の件は忘れつつも、このままの勢いで走り切りたいと思った矢先だった。まさに、次は三バカのライブが始まろうというその時。
「委員長、次のバンドまだ来てないんですけど……」
「……は? なんで、集合時間は伝えたはずよね」
「それが、なんか勘違いしてたらしく……。今急いで向かってるみたいですけど、出番予定時間にはちょっと間に合わないかもって」
やはり当日はハプニングなしには終われないようだ。
「どれくらい時間稼げばいいの」
「三十分ほどあれば……」
長すぎる。三バカに頼めば何かをやらかしかねないし、他バンドは既に帰ってしまった。トークで繋げるにも無理がある長さだった。
「三十分何もしないで待たせるわけにはいかないわよね……」
第一そんなことしていたらせっかくの賑わいも冷めてしまう。
「…………」
出番はもうすぐだった。客席はざわざわと騒めいて、絢芽たちの一つ前のバンドの演奏が響き渡っている。この感覚は一年ぶりだ。ついにこの時が来たのだ。
「花火、なかなかよかったでしょう!」
「ああ、委員長も驚いてたぜ!」
「二人とも、見てください、すごいです」
憐が舞台裏からステージの方を覗くと、少しだけ客席が見えた。満員も満員、超満員で会場外まで溢れかえっていた。
「憐は初めてだしなあ! 今日は楽しもうぜっ」
「——ちょっと!!」
「うわあっ、びっくりした」
突然背後から肩を掴まれ振り返ると、津久美が真剣な顔でこちらを見ていた。
「なんだよ、まだなんもしてねえよ」
「違うわ、ちょっとお願いがあるの」
「……ん? なんだこれ、80年代の曲リスト?」
津久美に渡されたのは、ビラと同じようにびっしりと黒い文字が書かれた紙だった。上から順に辿っていくと見覚えのある曲名がいくつもある。最近80年代の曲ばかりを聞いていたから絢芽にとっては馴染み深いものばかりだった。
「その中で演奏できるものあるかしら」
「え、演奏?」
「次のバンドの到着が遅れるそうなの。追加で何曲かやってもらいたいのだけれど」
「そんな急に無茶言うなって!」
津久美は至って真面目だ。きちんと行間や文字数が揃えられたビラを見てもわかる通りきっちりとした性格で、いつでも予定通りに事を運ぶ。突発的に無茶振りを言うなんて珍しいことだと思ったが、津久美は変わらず真剣に言う。
「フルじゃなくてもいいわ。何曲か少しでもできそうなものを弾いてほしいの」
「でも俺歌詞とか覚えてねーし」
「私が歌うわ」
「は!?」
「だから弾いてほしいって言ったでしょ。演奏だけでいいの」
「い、いやまてまて、どういうことだよ」
「ここは私の担当なの。ここで盛り上がりを消したくない。いいから協力しなさい」
困惑する絢芽に対して津久美は捲し立てる。その間にも前バンドの演奏は終わろうとしている。出番はすぐで、もう時間はない。練習する時間も。
「……趣味程度に軽く弾けるだけだぞ。あと二人もできるとは限らないし……」
「愛の力でなんとでもなります!」
「ボクも、両親の影響でこの中の曲はいくつか聞いてましたから、少しなら叩けます」
「それでも構わないわ。お願い」
「……はあ、わかったよ」
渡された紙の曲にいくつかチェックマークをつける。それを一瞥して頷く津久美は、絢芽の目を見てはっきりと言った。
「ありがとう。助かるわ」
足元に響く振動。心臓を揺らしている音がいつにも増して心地良い。歌声は腹から気持ち良く溢れ出て、指は滑らかに動いた。客席皆がこちらを見ている。
「次がオリジナル最後の曲です!」
トークを交えながらいつも通り、いつもより快活に三人での演奏ができていた。そして、最後の曲も終わった頃。舞台袖から出てくるのは、我らが委員長。
不思議と不安はもうなかった。多分、彼女があまりにもまっすぐに客席を見つめていたから。
「ここからは特別ゲストの委員長が歌ってくれます! みんな知ってるカバー曲メドレーだから、是非楽しんでってくれ!」
その声はまっすぐ奥の人たちにまで届くのがわかった。透き通るように、彼女の真面目さにぴったりで、どこまでも綺麗な歌声。
ただ、真面目なだけじゃない。柔らかさもあり、ひたむきで、心の篭った声だった。
***
無事にライブが終わりいつもの地下教室の静けさを戻したここは、少しだけ寂しかった。ただ、確実に残っている、充実感。
「おい、椎名」
「…………なに?」
聞き慣れない呼び方で呼び止められた方を向くと、絢芽が立っていた。
「お前の歌、めっちゃ良かったよ。バンドとかやらないのか?」
「やらないわよ」
「楽しいのに」
「こういうのはたまにで十分」
否定はしなかった。確かに楽しんでいた自分がいたから。津久美の歌に合わせた演奏は想像よりずっとクオリティが高かった。突発でやったとは思えないほどの完成度。いつでもくだらないことばかりやらかしている三バカの印象は少なからず良い方へと変わった。意外と悪くないのかもしれない。花火の件は容認できないが。
「……花火の件は、大人しく私が怒られてあげてもいいわ。これだけ盛り上がったのは、結局あなたたちのおかげでもあるし」
「むしろどんどん花火は上げるべきだぜ! 夜のうちあげでも上げてやろうか?」
「調子に乗らないでちょうだい。次はないわよ」
「へいへい。わかってるよ」
***
「今回の成績結果はこのようになりました」
「……っ」
一番の盛り上がりを見せたのは、地下ライブハウス。そこには紛うことなき一番の称号の証があった。小さくても、確かに一番の証。
ああ、今回ばかりは認めざるを得ない。津久美は来年もあの担当がいいと、心の底から思ってしまったのだから。